なぜ陰陽論が出来たのだろう

東洋医学

前回、五行について書きましたが
書きましたというか、好きですっていう告白みたいな記事になっちゃいましたけど
今回は陰陽論について少々。
五行論より先に陰陽論が生まれただろうから記事の内容逆が良かったかな…(反省)

さて、そもそもなんで大昔の人(中国人)は陰陽論という考え方に辿り着いたのでしょうか?
所説あるみたいですけど農耕民族だったからだと。ほう。

生きていくために必要な食べ物も空気も全て自然界に頼っています。
生まれ、育ち、衰退し、また新たな命の始まりに繋がる…。
日の出と共に起きて日中活動し、夜になったら眠る。基本的な生活リズム、
自然の恵みに生かされている私達は自然のサイクルと同じです。(天人合一思想)

長い間農耕を中心とする生活をしてきた人たちは、太陽や雨風などの
自然変化を観察しまくっていたのでしょう。
生きることは食べること。食べ物を絶やさないこと。これが全てだった大昔、
先人達は種をまく時期や収穫の時期を確実に知りたかったし、後世にきちんと伝えたかった。
その為には絶対に変わらないサイクルを使って決めておけば後世に伝えられる!と。
そうだ!太陽の動きだ!どんなことがあっても昇って沈む!
この変わらない仕組みを体系付けよう!と。
太陽が当たる場所と当たらない場所、農耕民族にとって土地を知るために
とても大切な思想だったはずです。
そして農耕に欠かせない大事なことは季節の変化です。
季節の変化、訪れを把握して農業の目安として二十四節気という考え方(サイクル)が
生まれたらしいのですが、今も欠かすことの出来ないです。
陰陽、五行、暦、自然と共に生き抜く為に構築された先人たちの知恵が
現代人にも役立っている。
これは本当に凄いことだよなぁと、私はまた日々ドキドキわくわくするのです。

ちなみに中国古来の思想“陰陽“ですが
世の中の全てのものを様々な観点で陰陽に分類します。
簡単なものだと例えば昼は陽、夜は陰、暑は陽、寒は陰など
なんとなく分かりますよね?

では左右はどちらが陽でどちらが陰でしょう?

正解は左が陽。右が陰です。
左→左足り(火が満ちている) 右→水極(水が極まっている)
↑鍼灸学生時代これを聞いてへぇーー!となったのを思い出し
思わず書いちゃいました。笑

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